映画『LAMB/ラム』レビューと考察|A24が描く自然と人間の境界線

作品紹介

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静かなアイスランドの農場で暮らす夫婦のもとに誕生したのは――人間と羊のあいだに生まれた不思議な子ども。

映画『LAMB/ラム』は、美しい映像と寓話的な物語で世界中に衝撃を与えたA24配給の話題作です。

最初は「怖い映画なのかな?」と少し不安に思いながら観始めましたが、ホラー的な恐怖はなく、代わりに静寂なアイスランドの風景と、寓話のように深いテーマに引き込まれていきました。物語が進むほどに不穏さが漂い、何を意味しているのか考えずにはいられない。その考察の過程がとても楽しく、観終えた後も余韻が長く残る作品でした。

本記事ではレビューだけでなく、ラストに隠されたメッセージを考察しながら、この映画の奥行きを掘り下げていきたいと思います。

鑑賞後にモヤモヤが残った方や、結末の意味を整理したい方はぜひ参考にしてください。

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映画『LAMB/ラム』概要

出典:YouTube(A24)

監督・キャスト・制作背景

『LAMB/ラム』は、2021年に公開されたアイスランド発のスリラー・ファンタジー映画です。監督はヴァルディミール・ヨハンソン。本作が長編デビュー作ながら、圧倒的な映像美と寓話的な物語で世界中の注目を集めました。

主演は『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』で知られるノオミ・ラパス。彼女が演じるマリアは、農場で羊を飼いながら暮らす女性で、ある“特別な子羊”を育てることになります。夫イングヴァルを演じるのはヒルミル・スナイル・グズナソン。アイスランドの実力派俳優陣による静かで緊張感のある演技が、作品に独特の重厚さを与えています。

本作はカンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品され、審査員賞を受賞。国際的に高い評価を得ており、「斬新で奇妙」「恐ろしくも美しい」と評されました。

A24作品としての位置づけ

配給を手がけたのは、革新的なインディペンデント映画を次々と世に送り出すことで知られる米映画会社 A24

『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』など、ジャンル映画とアート性を融合させた作品群で熱狂的なファンを持ちます。

『LAMB/ラム』もA24らしく、ホラーやスリラーの要素を持ちながら単純に恐怖を煽るのではなく、観客に「これは何を意味しているのか?」と考えさせる余白を残しています。そのため、ホラー映画を期待した人からは戸惑いの声も上がりましたが、寓話的で解釈の幅が広い作品として、映画ファンの間で語り継がれる存在となっています。

あらすじ(ネタバレあり)

羊の子の誕生

アイスランドの人里離れた農場で暮らす夫婦、マリアとイングヴァル。二人は羊を飼いながら静かに生活しているが、どこかに空虚さが漂っている。

ある日、羊の出産を手伝っていた二人は、人間の赤ん坊と羊が融合したような子どもを目にする。彼らはその子を「アダ」と名付け、自分たちの娘として育て始める。

家族の幸せと不穏な影

アダは人間の子どものように服を着せられ、ベビーベッドで眠り、夫婦と共に食卓を囲む。

マリアにとってアダは失った母性を取り戻す存在となり、夫婦の間に再び笑顔が戻る。しかし、周囲には常に不穏な視線が漂っている。

農場の羊たちはアダを見つめ、母羊は柵の外から鳴き続ける。さらに、イングヴァルの弟ペトゥールが家を訪れたとき、彼はアダの存在に強い違和感を覚え、冷ややかな態度を見せる。

衝撃のラストシーン

物語は静かな日常を積み重ねながら進むが、やがて不可解な出来事が訪れる。アダを産んだ母羊はマリアに撃ち殺され、夫婦はアダを自分たちのものとして守り抜こうとする。

そしてクライマックス。イングヴァルとアダが散歩をしている最中、突如として羊の頭を持つ大きな人間の姿=羊男が現れる。

羊男はイングヴァルを銃で撃ち殺し、アダを奪い去ってしまう。

残されたマリアは荒涼とした大地に立ち尽くし、愛する娘と夫を失った現実に打ちひしがれる。映画はその姿を映し出して幕を閉じる。

感想・レビュー

アイスランドの自然が生み出す神秘性

アイスランドの大地は、この映画に独特の神秘性を与えていました。果てしなく広がる山々や霧に包まれた草原は、人の営みを小さく見せるほどの存在感を放っています。派手な演出があるわけではないのに、ただその景色が映し出されるだけで、不穏さや神話的な気配を感じさせるのです。

観ているうちに、風景そのものが物語の一部として機能しているように思え、静寂の中に潜む緊張感に自然と引き込まれていきました。

ホラーではなく寓話的な不気味さ

本作は「ホラー映画」と紹介されることもありますが、いわゆるジャンプスケアや流血シーンはほとんどありません。むしろ、静かな時間の中で少しずつ積み上がっていく違和感が観客を包み込みます。

子羊と人間の間に生まれたアダは、見た目の奇妙さよりも「なぜここにいるのか」という存在そのものが不気味で、寓話的な象徴性を強く感じさせます。A24作品に多い「恐怖よりも解釈を促す不安感」が、まさに本作の魅力でした。

静寂と余白の演出

セリフの少なさや説明を省いた演出も印象的です。観客は常に“余白”の中に意味を見出さざるを得ません。

例えば、羊男がラストに突然現れる場面。普通の映画なら伏線や説明が入るところですが、本作では観客に解釈を委ねています。この曖昧さが「解説したくなる映画」として強く記憶に残ります。

観る人を選ぶ作品

一方で、エンタメ的な起伏や明確なカタルシスを求める人には退屈に感じられるかもしれません。物語は淡々と進み、説明不足な部分も多いからです。

しかし、寓話や神話、自然と人間の関係をテーマにした作品が好きな人にとっては、心に深く刺さる映画になるでしょう。A24作品を好む層には強くおすすめできます。

解説・考察

羊の子は何を象徴しているのか?

本作の最大の謎であり象徴的存在であるのが、羊と人間の間に生まれた子ども・アダです。彼女は単なる異形の存在として描かれているのではなく、人間社会における「境界」を揺るがす存在として強い意味を持っています。

まず考えられるのは、自然と人間との境界の象徴です。アダの誕生は、人間が自然の摂理を越えて手にしてしまった「恩寵」であり「越権行為」でもあると解釈できます。大自然の中で営む小さな家族に突然もたらされた奇跡は、同時に罰の予兆でもありました。

さらにアダは、喪失を埋め合わせる存在とも考えられます。マリアとイングヴァル夫婦が過去に子どもを亡くしていることが示唆されている以上、彼女の存在は失われたものの代替であり、心の空白を埋める象徴でもあります。そこには「与えられた奇跡にすがる人間の弱さ」と「奪われることへの恐怖」が同居しているのです。

加えて、アダは無垢と罪の同居を体現しています。見た目の愛らしさや無垢な振る舞いに反して、その誕生自体がタブーの上に成り立っており、存在そのものが「原罪」を帯びている。これは聖書的な神話性を呼び起こし、物語に一層の寓話的深みを与えています。

総じてアダは、自然と人間、祝福と呪い、無垢と罪といった二項対立を同時に内包する存在です。観客はその曖昧さに不安を覚えつつも、なぜか彼女を受け入れてしまう。この感覚こそが『LAMB/ラム』の核にある不気味さであり、作品全体が提示する問いかけなのではないでしょうか。

ラストに現れる「羊男」の正体と意味

映画のラストに突如現れる「羊男」は、本作を象徴する存在であり、観客に強烈な余韻を残します。彼はアダの「父」である可能性が高く、物語全体を神話的な寓話へと引き上げる役割を担っています。

第一に、羊男は自然の報復者として解釈できます。夫婦がアダを「自分たちの子ども」として育てていたことは、自然の摂理を越えた行為であり、その代償として父である羊男が現れ、秩序を正したのだと考えられます。つまり彼は、大自然の均衡を回復するための存在であり、夫婦が抱いた幸福は本来許されないものであったことを示すのです。

第二に、羊男は神話的存在の再現でもあります。北欧の伝承やキリスト教的なモチーフを踏まえると、彼は「羊飼いの神」「半人半獣の守護者」とも結びつけられます。人間と自然の境界を侵した夫婦に対して、彼は裁きを下す存在であり、同時に「奪うことで均衡を保つ神」のようにも見えるのです。

第三に、羊男は人間の欲望が生み出した影とも言えます。失われた子どもを埋めるために、夫婦はアダを受け入れ、手放そうとしなかった。その執着や独占欲の果てに現れる羊男は、彼ら自身の罪悪感や恐怖が具現化した存在と解釈することもできます。

結局、羊男の正体は明確には語られません。しかしその曖昧さこそが『LAMB/ラム』の本質であり、観客に「幸福は代償なしに成立するのか」「自然と人間はどこまで共存できるのか」と問いを投げかけています。彼の登場は物語を単なる異形譚に終わらせず、神話的な寓話へと昇華させる決定的な一撃なのです。

北欧神話・民話との関連性

『LAMB/ラム』は表面的には現代の寓話のように見えますが、その背景には北欧神話やアイスランドの民話的要素が色濃く反映されています。アイスランドは古くから自然信仰や異形の存在を語り継ぐ文化があり、本作もそうした文脈で読み解くと奥行きが増します。

まず注目すべきは、半人半獣の存在というモチーフです。北欧神話やスカンジナビアの伝承には、しばしば人と動物の境界を越えた存在が登場します。羊男はその系譜に連なる存在であり、自然界と人間界を結びつける「境界的存在」として解釈できます。これは同時に、自然に対する人間の傲慢や越権に対する戒めでもあります。

また、アイスランドの民話には「ヒュルド(隠れ人)」と呼ばれる精霊の物語が数多く存在します。彼らは人間と交わることもあれば、時に子どもをさらう存在として語られます。羊男がアダを連れ去るシーンは、まさにこの「子どもを奪う精霊譚」の再現であり、土地に根付く物語世界を呼び起こしているのです。

さらに、キリスト教的な象徴も無視できません。羊は聖書において「犠牲」や「救済」の象徴であり、羊男はその対極として「裁き」や「罪の具現」として描かれている可能性があります。つまり本作は、キリスト教的な羊のイメージと北欧の異形譚を重ね合わせることで、唯一の解釈に収まらない多層的な寓話を生み出しているのです。

総じて『LAMB/ラム』は、北欧神話とアイスランド民話、そして聖書的象徴を織り交ぜたハイブリッドな寓話世界を構築しています。そのため観客は、単なるホラーやファンタジーではなく、文化的・宗教的な記憶を刺激されながら物語を体験することになるのです。

「自然への冒涜」と「親の欲望」というテーマ

『LAMB/ラム』が描く物語の根底には、二つの大きなテーマが流れています。それが 「自然への冒涜」「親の欲望」 です。

まず「自然への冒涜」について。アダの存在は本来、人間が手にするべきではない「自然からの贈与」でした。しかし夫婦はそれを奇跡として享受し、自分たちの子どもとして囲い込みます。自然界に属すべき存在を人間の家庭に取り込むことは、摂理の破壊であり、やがて「羊男」という報復を招くことになります。ここには、自然を利用し支配しようとする人間の傲慢さへの警鐘が込められていると考えられます。

次に「親の欲望」。夫婦がアダを受け入れるのは、過去に子どもを失った喪失体験が背景にあると示唆されています。彼らはその空白を埋めるためにアダを「代替」として抱きしめ、決して手放そうとしません。ここには、子を求める親の純粋な愛情と、同時にそれが歪んだ執着に変わる危うさが表れています。つまりアダは「愛と欲望の境界線」を浮き彫りにする存在なのです。

この二つのテーマは密接に絡み合っています。自然への冒涜は、親の欲望によって引き起こされ、親の欲望はまた自然の摂理に逆らうことで増幅していく。映画のラストで幸福が打ち砕かれるのは、まさにこの矛盾の果ての必然だったと言えるでしょう。

『LAMB/ラム』はこうして、親子という普遍的なテーマを通して、人間と自然の関係性、そして欲望がもたらす代償を寓話的に描き出しているのです。

結末の意味をどう読むか

自然の秩序に逆らった人間への報い説

イングヴァルとマリアは、羊と人間のあいだに生まれたアダを「自分たちの子」として育てました。その過程で、実の母羊を殺してまでアダを手放そうとしなかった行為は、自然の秩序を侵害することに他なりません。

その結果、羊男が現れてアダを連れ去り、イングヴァルの命を奪う。これは「自然を侮れば必ずしっぺ返しを受ける」という寓話的な帰結だと解釈できます。

奪い合いと犠牲の連鎖を示す寓話説

結末は単なる報復ではなく、奪い合いの連鎖を示しているとも読めます。

 • マリアは羊から子を奪った
 • 羊男は人間から子を奪った

この連鎖は終わりがなく、常に誰かが犠牲になる世界を象徴しているのかもしれません。

つまり本作は「支配する者と奪われる者」という人間社会の縮図を、神話的に描き出しているとも解釈できます。

解釈の余地を残すA24的エンディング

『LAMB/ラム』の結末は、A24作品らしく多くの解釈の余地を残しています。夫イングヴァルを失い、アダを羊男に連れ去られたマリアが、最後に見せるのは絶望と静かな受容の入り混じった表情です。そして彼女がそっと腹部に手を当てる仕草は、物語をさらに複雑にしています。

この動作は、過去に失った子どもを思い出しているのかもしれませんし、あるいは新たな命の兆しを示唆しているのかもしれません。いずれにしても、アダを「自分の子」と信じていた彼女の深い喪失感が、身体的な感覚とともに表現されているように見えます。

A24の作品はしばしば、物語を完全に説明せず、観客に「その後」を委ねる余白を残します。本作のラストも、マリアの仕草を通して「再生の予感」なのか「絶望の確認」なのかを明言しません。その曖昧さが、観客の心に長く残り、それぞれの人生観や価値観によって結末の意味を読み替えることを可能にしています。

結局のところ、この結末は「幸福は永遠には続かない」という冷酷な真実を突きつけつつも、「失ってもなお生きていかなければならない人間の姿」を描き出しているのではないでしょうか。マリアが最後に見せた仕草は、その両義性を象徴する余韻として、観客に深い問いを残すのです。

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まとめ:映画『LAMB/ラム』はどんな人におすすめか

『LAMB/ラム』は、明快な答えや派手な展開を求める人には向かないかもしれません。しかし、静寂の中に潜む不穏さや、寓話的な物語をじっくり味わいたい人には強くおすすめできる作品です。

特に、
 • 北欧映画やA24作品の持つ「余白のある語り口」が好きな人
 • ホラーのような直接的な恐怖ではなく、じわじわと胸に残る不気味さを楽しみたい人
 • 神話や民話的なモチーフを現代的に読み替えた作品に惹かれる人
 • 観終わった後に「これは何を意味していたのか?」と考察する時間を楽しめる人

こうしたタイプの観客にとって、『LAMB/ラム』は深い満足感を与えてくれるでしょう。

この映画は、単なる「異形の子をめぐる不思議な物語」ではなく、人間と自然の関係や、親の欲望、喪失と再生といった普遍的なテーマを映し出しています。観る人の感性や人生経験によってまったく違う感想を生む、まさに「考える余白」を残した作品なのです。

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